ナスチトウム
Ⅰ.始めての聖書 1996年
妹への嫉妬から。
教会に来る2年前に、妹が入院したのでお手伝いに行った時、教会の人たちがお見舞いに来たのですが、とても魅力的に感じました。私には、友だちと呼べる人はいなかったからです。
妹の通っている教会の礼拝に連れられて行った時、死んだら天国に行く人と地獄に行く人に分けられるという話がなされました。終わってから、私はどうなるのと尋ねたら、妹は「今言ってもきっとわからないから」と、静かに答えて、それ以上は話してくれず、聖書を渡してくれました。
私と妹とは1年半ちがいでした。小さい時から可愛くて、ピアノやテニスが上手で、勉強もよくできて、回りの人に可愛がられていました。私は、ずっと悔しい思いをして来たのですが、その時は、烈しい嫉妬を感じました。妹からもらった聖書を読みたいと思ったのに、日本語なのに全く理解できなくて、またまた悔しい思いをしたものでした。
2.始めて聞いた牧師の話 1998年3月
その2年後、夫が大阪に単身赴任となり、社宅に住むことになりました。私は夫のところに来た時に、ふと、近くに教会があったので、来てみました。
教会で始めた聞いた牧師の話は、「イエス・キリストが十字架で死んで、墓に葬られて、その後によみがえり、そしてその後、人々が見ている間に、雲に包まれて天に昇って行った」ことでした。まるで、映画でも観て来たばかりなような話でした。1998年3月のこと。使徒の働き1章8節9節でした。
使徒の働き 1:8 しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」 1:9 こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。
その後、夫のところに来た時に、日曜日の礼拝に3回程、出席しました。ほとんど意味がわかりませんでした。
しかし、その年の8月の平日に、ゆっくり牧師の話を聞きました。そして、1月に聞いたイエス・キリストの話は、作り話ではなくて、実際に起こったことで、この方を目撃した人たちが記録したのが聖書であると教えてくださいました。
ふらりと立ち寄った旅人のような私に、時間をとって丁寧に教えてくださるこの方の話をもっと聞いてみたいという気持ちになりました。